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うつ病(大うつ病性障害、単極性うつ病)に関する症状

更新日:2019年01月21日

このページでは、うつ病の治療を選択した方々の、どのように症状が現れて受診するに至ったのか?その際どのような検査や問診をしたのか?などといった、症状の発生から病気の確定までの経緯に関する体験についてまとめられています。

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  • 職場での過度な精神的ストレスによりうつ状態になり休職。 精神科へ通院。 6か月自宅療養するも治らず、入院治療(3か月)を行う。 入院治療を行うと1か月ほどで症状が治まり、行動療法などにより日常の生活ができるようになった。 最後1か月は復職支援のプログラムがあり、復職もスムーズに行えた。 治療内容は以下 入院治療 ・行動療法(2か月目~) ・マインドフルネス(2か月目~) ・カウンセリング(2か月目~) ・復職支援プログラム(3か月目~) 現在は職場復帰できている。
  • 私の場合、まずその頃の私は自分でも意識しないうちに仕事にストレスを感じてきていたようでした。 ある日、なにげなくカッターが目に入って左腕を切りつけてみました。うっすらと血がにじむ程度だったのですが何か心がすっとしたのです。 その日のうちに私は切れ味がいいと評判のかみそりを買ってきました。 そっと腕に当ててみると驚くほどに血が流れ出し、私は慌てると同時に何か言葉で上手く言い表せない感覚に陥りました。 その日から私はステーキの網目のような腕になるまで切って、切って、切りました。何かに取り憑かれたかのように自傷を繰り返しました。 このことに関しては手首自傷症候群の経験として書こうかと思いましたが、なかったのでうつ病と踏まえて書かせていただきました。 それを契機に私の精神状態は悪化。朝が来るのが恐ろしいという考えや起きられない、常に憂鬱などの症状があり、だんだん冷静な思考を失って、寝ずに朝まで自傷行為を行ったり、市販の咳止め薬を1瓶飲んで出勤するなどということをし始め、精神が崩壊していった私は不安に駆られ、泣き、暴れるなどし、結局心療内科に行きました。そこで一度、躁うつ病と診断されましたが、今ではうつ病という診断が下りて、障害者手帳も持っています。 仕事はやめました。約1年でした。 今では左腕全体が自傷痕だらけで毎朝起きれず、起きても横になっていること、不安をお酒や薬を飲んでごまかすことしかできません。 なるだけ詳しく書いたつもりですが、分かりづらいところも多々あると思います。 まとめると私の場合は不安、憂鬱、不眠による自傷の誘発、起きられない(動けない)、急に泣き出す、怒り出すなどが主な症状です。躁状態が現れることがあるのですが若い人のうつ病は躁状態が出ることはよくあると主治医は言っていました。 稚拙な文章ですが役立てていただければ幸いです。
  • 気分の落ち込み、イライラ、怒りやすい、引きこもり、食欲減退、意欲減退、自分の身の回りの事ができない、生活習慣の乱れ、眠れない
  • 長い別居生活を終わらせたくて、収入を増やすために転職、同じ職種だけど内容は若干違った。働いてる人たちも個性が強かった。そこから離婚に向けて動き出し、長男は高校受験。 すべてがのしかかった状態で体に不調が出てきた。朝は必死で起きる。中学生二人起こして食べさせて出勤。その日のメンバーによって行きたくなくなる。でも生活のため続けた。 離婚に至る決定的なことを元旦那がやった。両家で話し合う。慰謝料、養育費等。この頃には震えが出ていた。 離婚してシングルになって医療費がタダになるのを待って心療内科、予約。この頃には買い物もままならず。突然涙が出る。お店の大勢のお客さんに耐えられず。人に会うのも苦手に。 2014年9月初めて心療内科へ。最初のカウンセリングは必死で話したが泣いて泣いて話が続かなかった。アンケートのような問診票に記入。案の定「いいえ」ばかりだった。その後診察。「うつ状態」との診断。薬の処方をしてもらったが、内容は忘れてしまった。安定剤、眠剤、抗うつ薬。病状は変わってきてるけど、この3つの薬は内容は変わっても今ももらっている。
  • フェイスラインと額に小さなニキビが大量にでき、それと同時期に早朝覚醒(早朝に目が覚めてその後眠れない症状)が出てきました。皮膚科に通い「男性ホルモン過剰による肌荒れ」と診断を受けニキビ治療を行いましたが、早朝覚醒もその後も治らず続いて情緒不安定になり出勤途中の電車内で急に涙が出て止まらなくなったり、食欲不振も続いたので近所の心療内科を受診しました。そこで「抑うつ症状」と診断され抗鬱剤治療を開始しました。
  • 大学から新卒採用で働かせていただいていた会社の仕事と人間関係等のストレスがきっかけで、心療内科にてうつ病と診断されました。最初の病院ではうつ症状という診断で薬を処方されていました。しかし、母からの勧めで2つ目の病院へ転院したところ、うつ病の典型的な症状が出ていると改めて診断を受けました。同時に全般性不安障害の症状も出ていると診断されたため、両方ともの寛解は少し長くかかるだろうと言われました。しかし、主治医の先生から「少しずつ進んでいけば大丈夫です。焦らなくていいですよ。」と励まされました。
  • 普段なら気にならないようなことが気になるようになり動悸がするようになりました。例えば、ちょっとしたことを職場の人に質問するというだけで、話しかけるタイミングや話しかけられたときの相手の表情などが気になり声をかけるのが怖くなりました。そのようなことが増え、徐々に職場に行くこと自体が怖くなり欠勤や早退が続いたため病院を受診しました。はじめて病院にかかったときは、新社会人になり疲れがうまく発散できず疲れていると思われるので1か月ほど休むように、とあまり不安を強めないような言い方で状態について告知されました。
  • 最初夜眠れなくなり、朝起きれなくなりました。寝れば治ると思っていましたがいくら寝ても良くならず、眠気を我慢し学校へ登校しました。夜寝れないので当然授業中は眠くなり、まともに授業を聞けず試験を落としてしまうことが増えました。再試が増えてきてストレスが溜まってしまい、自傷行為、貧血、自殺未遂を繰り返し、これ以上学校に行くのは危険だと判断し病院を受診することにしました。医師からは入院寸前との診断を受けました。
  • 幼稚園の頃より不安・緊張・吐き気・疲労感が強く集団行動について行けず。緊張・吐き気・頭の中で会話が纏まらないため人との会話・人前での食事が出来ず給食が食べられなかった。イライラ不安の繰り返しで怒ってばかり。嬉しい楽しい喜びを感じる事がなく笑う事がない。16歳の時、パニック障害で教室に入れず、「うつ病を伴う不安神経症」と診断。通院・投薬を開始したが完全寝たきり状態となり両親の介護を受ける。症状は強烈な不安・動悸・吐き気、肩・腕・指の痛み、発狂しそうな恐怖感が24時間常時毎日あり。常に頭がボーッとして1円単位の計算も出来ず疲労だるさがあるので1日起きて居られず。食事も吐き気が強く母に側に付き添ってもらいやっと口に出来る。寝る時も必ず睡眠薬が必要。
  • 最初は食卓ですら会話の少ない家庭内(それが普通で、子供のいる前で借金やお金の話がとびかっていてもふつうなのだという認識でした)両親が共働きだったせいか、少なからず寂しさを感じていたのかもしれません。構ってほしさからか、そのころにはもう衝動的な暴力面もあり、ネガティブ思考になりつつあり、とうとうリストカットをしてしまいました。そうしたらどんどん心が頭がおかしくなっていきました。病院でもらったお薬や市販のお薬をオーバードーズしたり、飛び降りて頭や顔を縫いCTRにもいれられたり、暴力をふるったり、手首にとどまらず、いろんな箇所を切ったりして、薬はどんどん増え、ついには学校よりも病院にばかり通うようになっていました。何件も試してきて、ようやく合うお医者さんに出会えたとき、躁うつ病と診断されました。思い返せばほかの病名もちらついてはいたと思いますが、その医師はただ、躁うつ病です。とおっしゃいました。それ以降病名を耳にすることはなく、薬物治療を現在も続けています。
  • 震災の計画停電の関係で仕事が夜勤になり昼夜逆転の生活が数日続いた。 睡眠障害で眠れず、憂鬱な気分が続き仕事が手につかず会社を休みがちになった。それを心配した家族から一度病院に行くことをすすめられ受診した所うつ病と発覚 当時は適応障害からくるうつ状態と診断され投薬治療がはじまった。 日常生活は送れたが仕事に行くことだけできなくなっていた。
  • まずは入眠困難、早朝覚醒などの睡眠障害が起こるようになり、次第に吐き気や緊張感による食欲不振により体重が激減。それでもなお受診には訪れず、精神的な問題だと自身では片づけていたが、放置するにつれ吐き気がどんどんひどくなり外食ができない状態になり、また無理に外食をした際は突然おう吐をするように悪化し、精神的にも落ち込みや悲しみがひどく、何をしていても涙が溢れてきて自殺願望なども出てくるようになり、いよいよこれは病院に行った方がいいと思い心療内科を受診。初診の際いくつかのペーパーテストも受け、主治医と話した際にはかなり重度のうつ病に進行していると告知される。それから投薬による治療を開始。
  • 元々は起立性調節障害と行きつけの小児科で診断されていましたが、あまりに段々と学校に行くことが困難であったため、学校医から心療内科を勧められ、受診しました。そのときにはもう既に、いっぱいいっぱいな状況で病院で号泣していました。それほど溜め込んでいたのですねと医師や看護師の方から言葉をもらいました。診てもらったところ起立性もありそうだが、それに加えてうつ病の症状があるため、より悪化していると告げられました。
  • 始めはめまいやふらつきからきて耳鼻科を受診しましまた。三半規管は正常との事で、自律神経の乱れを治す薬に変更されたものの、良くならず、目の奥が痛くなり眼科も受診。全く問題なく、内科、神経内科も受診しましたが異常なく、ようやく心療内科に辿り着きました。
  • 仕事がハードで1日12時間以上働いており、倦怠感や不眠そして食欲不振が2ヶ月以上続きました。また上司からのパワーハラスメントにより自信損失し、自身の腕や太ももに自傷行為を行なってしまい受診に至りました。仕事を休職し身体と心を休めるよう診断されました。
  • 仕事をしている中で、上司との関係に悩んでおり、自宅に帰ってもずっとそのことを考えてしまっている内に病気になってしまいました。症状としては、まず胸の痛みを感じるようになり、初めは内科を受診していました。しかし問題ないとのことで再び仕事を続けていたのですが、行こうと準備をしていると理不尽に怒られたことを思い出し行きたく無くなったり、帰宅した途端力が抜け泣き出したり、仕事の途中で呼吸が荒くなりトイレで落ち着くまでまったりしました。 余りにも酷かったし、精神的にもきつかったので心療内科を受診すると、うつ病であることが分かりました。まだ眠れているし、リストカットなどもしていない為、軽い状態だと思います。 医師からは、症状が落ち着くまでゆったり身体と心を休めることが必要だと言われ、仕事も辞めゆったりと毎日過ごしています。 しかし、未だに動悸がしたり、そわそわと焦燥感を感じたりして症状が治まっていません。
  • 人と会うこと、話すこと、目を合わすこともできなくなった。 家族にすら会いたくなくなり部屋に一日中こもるようになった。自殺願望がつよく毎日どのようにして死のうかなど考え毎日が地獄のような日々だった。そこで親が心療内科に連れて行き診察を受けうつ病だと診断され漢方薬を処方された。
  • 1987年4月頃、就寝してから数時間後(午前2時頃)に目が覚めるようになり(いわゆる早朝覚醒)一度目が覚めるとなかなか寝付けない症状が続き、仕事に集中できなくなり精神科を受診しました。ストレスからくるうつ病と診断され抗鬱剤(ソラナックス8mmg)を1日1錠服用していましたが、1992年からは1日3錠(朝・昼・夕)服用するようになりました。しかし症状は悪くなるばかりで、1994年からソラナックスの他にSSRIと睡眠導入剤も服用するようになりました。2010年11月に更に悪化し3ヶ月の病休をとり、入院しました。2011年2月に仕事に復帰するものの症状は良くなっていませんでした。その後勤務先を変えていただき、平成29年3月31日どうにか定年退職いたしました。
  • 学校やバイトの帰りの電車で急に気持ちが落ちてしまい、涙が勝手に出てきてしまうことが何回もあり、リストカットも抵抗なくしてしまうようになったので病院に行くことにしました。診断結果は鬱病のパニック障害でした。人と会う事も嫌になってきていたのでそのことも先生に話したら、パニック障害の表れだということでした。重症度やステージなどは言われませんでしたが、とにかく気持ちが落ちてしまう原因がなんなのか、それを見つけることから始めようと言われました。
  • 仕事でストレスが溜まっていました。食欲不振、不眠、理由もわからないけれど涙が出る、憂うつ感、自殺願望などが現れ、「いつもと違う」と思いました。数週間経っても一向に症状が緩和されなかったので、思い切って心療内科の受診を決意しました。
  • まず始めに夜に眠れなくなりそれに加えすごく喉が乾くようになりました。それが続いたのち、外に出たり人に会ったりすることができなくなり、病院で診察を受けることにしました。診断結果は軽度と中程度のあいだの、うつ病ということを言われました。
  • 当時、子供のいない専業主婦でした。結婚して4年が経とうとしているのに、子供がなかなかできず悩んでいました。自分に自信がなく働きに行く勇気も持てず仕事をしていませんでした。考え過ぎてしまう性格のため、子供もいないし働いてもいない、私は何のために生きているのだろう…とどんどん思い詰めていきました。それと同時に主人の出張が重なり、本当にやばい状態にまで落ちていきました。まず働かなくてはという焦燥感に駆られ、面接希望の電話をしたり面接を受けに行ったのに、ちゃんと働けなかったらどうしようという考えが頭から消えず涙が止まらなくなり、結局直前で辞退ということを2、3度繰り返しました。運動をすれば良くなると勝手に思い込みスポーツジムに入会するも気分は塞がるばかりでした。何をしても駄目だという絶望感がどんどん重なり、12月には料理も作れなくなりました。毎日主人にご飯を買ってきてもらいました。笑うことも泣くこともできなくなり、主人がいない間はずっと布団で横たわっていました。食欲がなく、夜眠れなくなり、朝は早くに目が覚めても頭の中で変な考えがぐるぐるして10時くらいにやっと起き上がる生活でした。年末には死にたいと口走るようになりました。11月から薬の量がどんどん増えていって、抗うつ薬、安定剤、吐き気止め、睡眠薬といっぱい飲んでましたが、全然効かなかったです。病院のカウンセリングにも通いましたが、心が晴れることはなかったです。当時の先生に入院するか、実家に帰るように言われました。
  • 夜は夜中から朝方まで眠れませんでした。無気力になったり、涙が止まらなくなったり、自分を責めてしまい、その辛さから逃げたいと思うほどでした。毎日頭痛、腹痛もありました。ストレスがどんどん体に出てくるようになり、自分だけの力ではどうにもならなくなり、周りの勧めで受診することになりました。
  • 学生だった当初、先々不安定な就職活動などで自信喪失し、気づいたら不登校となり学校へ行くことすらままならなくなって最寄りの心療内科へ駆け込みました。しかしながらそのクリニックは詐欺医であり、あと後になって必要以上に患者さんに投薬をしていたことなどから廃業のお知らせを受けてクリニック変更を余儀なくされました。その後、もはやまともに眠ることができなくなっていたほどのかなり切迫した状態で二回目に別の病院に通院した折、医師の判断から重症ということで緊急入院をしました。一時回復後、通院を数年続けることになりました。
  • 新しい仕事の研修期間中、新規支店立ち上げを一人でまかされるような正社員のような仕事をさされ、もともと持っていたパニック障害の不安(薬は飲んでなく、快方に向かっていた)をかかえながら、奮闘していたが、一人ではできず、社長に相談。その後、直属の上司が直で社長に相談したことが気に食わなかったらしく、「首にする」と言われた。そのショックで、パニックとは違う症状が出始め、病院を受診。うつ病と診断される。
  • うつ病と診断される前や病院に通院する前からその予兆はありました、中学入学ぐらいから嫌な事があると自傷行為をし落ち着いた気持ちになると言う繰り返しだったからです、軽度のリストカット程度ではなく毎回縫い傷になる程のものだったので当時親は精神科に行こうと熱心に私に言ってました、精神科や心療内科と言う響きがどうしても嫌でいくのを拒み初めて病院に行ったのは高校の時になります、 初めて行った心療内科の先生はあなたのやってる事は親御さんに迷惑なだけだ等の罵倒語等まともに取り合ってもくれず最初のコンタクトは最悪でした。 心療内科で最悪な想いをしたので紹介状を書いてもらい今も通っている大きな精神科に通院する事になりました。 そこの先生は私の話も聞いてくれる人間味のある方だったので通院する事をきめました。
  • 学生の頃、きっかけは両親の離婚でした。それまで毎日仲良くできる友達に恵まれ、性格も内向的な面がありながらも明るくどこにでもいるような学生だったと思います。 幼い頃から両親のケンカが絶えず、離婚をきっかけに家族と会話をする機会もどんどん減っていきました。そんなとき、のどに何かが詰まったような感覚があり、食べ物を飲み込みづらく、食欲が落ちました。心を閉ざしがちになり、交友関係も減りました。自分の部屋へ戻ると、何が悲しいのか分からないけれど涙が止まらず、ひたすら泣いていました。何をしても今までのように心から笑えない、夜も眠れず、どんどん自分の中から感情というものが無くなっていったように感じていました。そんなとき周囲からは、「甘えすぎだ」「悲劇のヒロインぶっている」と、辛辣な言葉もたくさん言われました。 周囲から思ってもいないような言葉を言われるたびに、自分はここに居てはいけない人間なんだ、自分の考えを理解してくれる人は誰も居ない、と、もっと心を閉ざすようになりました。 自分がおかしくなってしまったような気がして怖くなり、そこで初めて、バスで20分ほどの場所にある大きな病院へ訪れ、精神科を受診しました。初診での病名の診断はできないとのことで、二週間に一回のペースで受診していました。一ヶ月ほど受診し、受けた診断名は「うつ病」でした。
  • 2015年に第一子を出産してから、家事と育児に追われ同居していた旦那の母親のストレスもあり、不眠症になり急に涙が止まらなくなったり旦那に泣きながら発狂し八つ当たりしたりとひどい状態でした。近所に心療内科もあったのですが、田舎のため心療内科に行けば○○さんの家のお嫁さんが心療内科に行っていたと噂が広まると嫌だったので、ただただ耐えていたのですが見かねた旦那が家を出て会社の近くに家を建てようと言ってくれたので、家を建てて引っ越しをしてから近くの心療内科に通いました。産後うつ、育児ノイローゼと診断されました。
  • ずっと不眠症が続いていて、寝られない日が多く、でも仕事はしないといけないので、経営もしてましたので、ストレスもかなりまりました。仕事をしている最中に急に過呼吸になってしまってもう制御できない状態でいてもたってもいられない言葉では言えない状態でした。いわゆるパニック障害から始まり、うつ病の症状が出てきてしまったかなという感じで、もうテレビもみるのも辛い状態で音と映像がはいってくるのが苦しくて、体がだるくて仕方がない状態でした。
  • 新しい部署での怒涛の仕事に追われ、新しい部長の元で仕事をしていたのですが、とてもパワハラとも言えることをされる部長に押しつぶされました。仕事で電話をすることも怖くなって出来なくなり、変な汗をかいたり、目線が合わない本人を見かねて家族が病院へ連れて行き、まだ軽度で済みましたがすぐにうつ病と診断され抗うつ剤を摂取することになりました。もちろん、仕事を休職して誰かしらの目がある場所で休ませることになりました。今はその時の状況などは本人には全く記憶がなく、ただただ脱力感に襲われており『死』が頭をよぎったそうです。

    30代男性の家族(この人の治療体験)

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