あなたの体験談が必要とされています

詳しくはこちら

てんかん(てんかん発作症候群)に関する症状

更新日:2018年05月23日

このページでは、てんかんの治療を選択した方々の、どのように症状が現れて受診するに至ったのか?その際どのような検査や問診をしたのか?などといった、症状の発生から病気の確定までの経緯に関する体験についてまとめられています。

1-30件目を表示/全89件
  • 一歳頃に母親が気が付き、病院は行った様ですが、その頃は今の様な診断機器が整備されて居らず、その内に普通生活が出来る状況になった。 しかし、外見で見ると『斜視』の状況が有ったので、小学校時代に『手術』で、ある程度直した。 二十歳過ぎ頃から朝起床後、寝起きが悪い状況が続き、いくつもの病院で、診察を受けたが、医師も判断がつかず最終的には『てんかん』判断を下し『抗てんかん薬』を服用しだして、数年後からいきなり意識を無くす状況が始まり、『救急搬送』が必要状況に成りだした。 それでも病院では、『脳波』や『MR』や『CT』の検査を行ったが、『脳波』では『異常波』が出ず『MR』や『CT』では、異常が在るにも関わらず、見逃した状態が続いた。 その為、『救急搬送』既に数十回と成り、救急隊員とは、顔なじみ状態になってしまった状況。 その為、私の方で受診カルテ関係を取り寄せ、見直した中で『裂脳症』の記載を発見したが、自宅近くの医師では、病名すら知らない医師ばかりで、殆どの医師の『てんかん』の処置が続いた。 その為『救急搬送』が続いた為、以前からコンピューターの仕事をやっていたので、自分でも環境を整えネットで、『裂脳症』を検索した中に『富山大学』の先生が、『裂脳症』に関する情報を持って居る鵜事が分り連絡を取ったところ、『富山大学』まで来なくても、月に何度かは家の近くの『西宮』に来ている事を聞き、早急の情報を集め受診した。 普通であれば、私以外の患者が多く受診は無理と思われたが、すんなり受け入れて貰え、受診知る事が出来おまけに先生の方から、次回の診察予定日を聞け、受診が始まった。 その先生が、世界的に活躍されている慈恵医大の『大井静雄』先生。 私の正式な病名は、【先天性の、裂脳症(closēd LIP)】も、判明。
  • 突然の転倒、意識障害
  • 最初、2013年12月に睡眠中に全身硬直して泡を吹く強発作で救急車にて病院へ。その時はCTを撮り、1度目の発作という事で帰宅。 2回目、2014年6月に同上の発作で救急指定の労災病院へ救急車で搬送。そのまま入院。 当時、ワンオペ育児や家庭環境など良くなかったため 過労、睡眠不足、ストレスにより睡眠時てんかんを発症したんだろうとの事で、入院しながら休養と脳波などの検査。
  • ・2005年1月 電車の中での不自然な動きに同乗していた母が気付く。 ・2005年3月 上記のことを父がかかりつけ医で話題にしたところ「てんかんの軽発作では?」と言われ脳波の取れる総合病院への紹介状を書いてくれる。脳波検査の結果、てんかんと診断。
  • 家にいたとき、急に意識を失くして床の上に倒れてしまいました。そのようなことが3回続いたので病院に行き、脳波の検査をしたところ、てんかんであることが分かりました。ただ重度のてんかんではなくとても軽いてんかんとの診断でしたので、1ヶ月おきの脳波の検査だけ通うことになりました。
  • 18歳の頃に発症、16歳の時点で初期症状の『めまい、言語が分からない、文字が書けない』があったが、目を瞑り安静にしていたら治っていた。その時点ではただの疲れと思い病院受診はせず様子を見ていた。看護学生でもあったため、国試への勉強がハードになり18歳の12月、授業中にまた『めまい、言語が分からない、文字が書けない』といった症状が現れる。今回も同じ対処法を取るも改善せずにそのまま意識消失してしまった。意識が戻る頃には救急車で搬送中だった。そこでの診断は『けいれん発作』。初回であった為この様な結果を告げられた。その数日、実習先で同様の症状が現れる。幸いこの時は、救急病院での実習であった為、そのままERに行く。今までの経緯もあり今回の診断で『てんかん』と告げられる。
  • 一歳半くらいから食後にふらふらすることが時々あり、小児科に相談しましたが様子見と言われました。しかし症状は頻繁になって気になったため、娘の症状を動画で撮影して再度小児科に相談しましたが様子見と言われました。一日に8~9回、数分意識が途切れ途切れになり、5分ほどすると普通の状態に戻るというのが娘の症状で、トイレや着替えなど、毎日決まったタイミングでその症状が見られました。インターネットで色々調べるうちに、てんかんのサイトに似た症状が記載されているのを発見しました。三歳四か月の時にようやくてんかんの専門医に診てもらうことになりました。症状は欠伸てんかんによく似ていますが症状が見られた月齢が早いのが引っかかっていました。病院で簡易検査をして欠伸てんかん特有の症状が見られなかったため脳波を取ることになりました。その結果てんかん波が見られ、てんかんであると診断されました。

    10代以下女性の家族(この人の治療体験)

  • 生後6ヵ月頃、1日に2回程度、手足を強張らせる症状が現れました。最初は、乳児反射の類いのものかと思い2週間ほど様子を見ていましたが、何かおかしいと思い、発作の様子を動画に撮り、行きつけの小児科に相談しました。「てんかんの発作かもしれないので、脳波の検査をするように」と総合病院を紹介され、脳波検査の結果、ウエスト症候群の診断を受けました。

    10代以下女性の家族(この人の治療体験)

  • [てんかん]と病名が初めて分かったのは、23歳の時でした。 小さいころから、疲れがたまると1日中眠気に襲われていたりしていました。幼稚園のころからは、ふと自分の世界に入りどこからか声がして自分の世界の中で会話をしたりしていました。それは、まわりから見ると、微動だに動かず止まっているそうです。5分くらいすると、意識が戻りもとの自分に戻ります。親にそんな話をしても、信じてくれませんでした。そんな症状が出るのも、疲れがたまった時です。 小学校5年の時、体育の授業の時。順番待ちで、何人かと体育館の隅に座っていたら、ふと意識がなくなりました。私の中では意識がないのですが、友達をたたいたり、スーと歩きだしたりしていたそうです。5分後くらいに意識を取り戻し、周りにいた友達たちが声をかけてくれてたのですが、私は自分のしてた行動が全く分からないので、まわりの状況が全くつかめていませんでした。そんなこともあり、担任が親に連絡をし、病院で検査をすることになりました。脳波をとったりと検査をしましたが、原因がわからずでした。そんな不安を抱えながら、23歳の夏。今までも何度か意識をなくすことはありましたが、5分くらいで目を覚ましていました。が、今回は違いました。ソファーで息子をだっこしていた覚えはありますが、気が付いたら病院のベットの上でした。私は、床の上でけいれんをおこし、泡を吹いていたそうです。家族が発見し救急車で運ばれました。いろいろと検査をし、初めててんかんだとわかりました。幼い時からてんかんをもっていたみたいですが、分かったのが23歳なので、てんかんとは一生おつきあいになるそうです。その時から飲み始めた薬によって、それ以降症状は出ていません。1年に1度、検査をしましたが、症状はでていなくても[てんかん]特有の脳波は出ているそうです。
  • 年末年始に家族親戚と旅行に行った際、ホテルの大浴場で発作が起こり、自分自身で体の制御が効かなくなり倒れた事がきっかけです。私の場合、意識がなくなる発作ではなく体が自分の意思と関係なくピクピクと動いてしまいます。医師から病名は若年性ミオクローヌスてんかんと言われました。症状は軽い方だと思います。薬を飲んでいれば日常生活に支障はでません。主に寝ている時に脳波に現れます。今でも定期的に受診、検査をしており、当時は治るかもしれないし治らないかもしれないと言われました。
  • 当時中学2年生で、校庭で体育の授業をしている際に発作が起こりました。発作が起きて倒れてから、体をつっぱらせて泡をふいていたようです。 しばらくして意識が回復し、割れるような頭痛に耐えながら救急車で近くの大学病院に搬送されました。 血液検査、脳波検査、脳のCTとレントゲン検査等を行い、お医者さんから真性てんかんと診断を受けました。 真性てんかんは、原因不明のてんかんなようですが、抗てんかん薬を服用すれば発作を抑え、治すことができる。との事だったので薬の服用を始めました。
  • てんかんと診断されたのは14歳の時です。小学生のことからてんかんの症状は出ていましたが、母親も子供の頃同じような症状があったことから、遺伝性の極度の貧血だと親も私も思っていました。 てんかんと分かったきっかけは、中学2年の時、体育の授業中に意識を失って倒れ、その当時の担任の先生から、ちょっと今から病院に行こう。と連れていかれ検査の結果てんかんであることがわりました。
  • ある日突然、兄と喋っていたら急にフッと目の前が真っ白になり、兄のおいという声でハッとしました。兄によると、私は目を開けたまま急に口をモゴモゴさせながらボーッとしてたそうです。自分では全然わからず、学校でも1日に何回かそんな症状がでて、当時の担任に病院に行った方がいいと言われ小児科に受信しました。医師からは、てんかんで間違いない、発作が出るの多すぎると言われました。
  • 発熱後、顔色が青ざめていく私を両親が近所の小児科へ連れて行ったところ「脳に酸素が届いていない、こちらでは処置できないので救急医へ行ってください」との指示があったそうです。私は意識がなく、両親同乗のもと救急車で大学病院へ搬送されました。小児科で処置を受け、熱性けいれんとの診断でした。意識は回復し1週間入院しました。成長過程で治ることも多いようなので、この時はてんかんとは診断されていないようです。 その後も高1までは毎日服薬、半年に1度は脳波検査を受けていました。日常生活に支障はありませんが、たまに疲れが溜まったり睡眠不足が続くと、意識が数秒~数十秒なくなったり、酷い眩暈、喉から胸にかけて息苦しくなり言語機能が働かなくなる、などの発作があったからです。 それ以降は暫く酷い発作はなく、通院も疎かにしていました。けれども、大学2年で学業とアルバイトを両立して生活を始めると、発作は再発しました。私は生活が楽ではなかったので、自分の身体を守ることを後回しにして、その後も通院再開せずにあました。 しかし、社会人になりホテルでルームサービスの仕事を始めて間もなく、意識を失い、倒れました。幸い従業員スペースだったのでお客様には迷惑を掛けずに済みましたが、上司からは病院に行くよう指示があり、通院を再開しました。検査結果は問題なしでしたが、服薬が増えました。私が症状を話したところ、難治性てんかんと初めて診断され、発作は複雑性発作と言われました。 睡眠時間を増やすよう指示がありました。ホテルの仕事も右足疲労骨折で辞めたことを機に事務職へ転職、睡眠時間の確保もできるようになりました。 服薬と睡眠時間を増やしたことにより、発作はほとんどなくなり、今は日常生活に支障ありません。
  • 学校で遊んでいる途中にバタっと倒れました。歩いて教室まで行ったのですが、白目になっており、舌が出てる状態でした。発達障害も併発しており、小児科の先生に相談。先生からてんかんではないかと話があり、脳波の検査を行いました。 大学病院の脳外科担当の医師が、小児科に来院していまして、脳波を検査した結果を見て頂きました。1週間後に検査結果を聞きに、小児科を受診。やはりてんかんであると告知されました。寝不足や疲れが溜まると、口の中が痺れ、舌が出始めます。しばらくすると目が白目になると、発作がおきます。

    10代以下男性の家族(この人の治療体験)

  • 当時は学生でしたが、朝から頭痛と制御できない眠気があった事は覚えています。 初めて発作が起きたのは塾の冬期講習を受けている時でした。倒れかたが異常だったので病院で検査をしたら、思春期にはよくおこるてんかん症状と診断されました。
  • 心臓の手術が終わった日の夜中、ICUで心停止し、蘇生後脳症を患いました。検査で脳波の乱れが見つかり、てんかんとの告知を受けました。病気の重症度については、成長に伴って変わるため、現時点ではどうなるか分からない、とのことでした。

    10代以下女性の家族(この人の治療体験)

  • 9歳頃から視覚症状(時々見えない光の残像が見えたり)があり、朝方手が自分の意志とは違う動きを数回繰り返したりする事があり、10歳の時に大発作がありました。脳波検査結果、てんかんと診断されました 私の場合母親が妊娠後期に腹部を強打した事が原因の1つであると言われました。 デパケンとヒダントールを2錠ずつ朝晩服用していました。大発作は年4回程ありました。年々大発作が減少傾向にあったので服用回数も1日1回夕方だけだったのですが、19歳の時に交通事故(車の助手席に乗っていた)で前頭葉を強打し1ヶ月の意識不明の重体で治りかけていたてんかんは重症化(年10回程大発作)し、後遺症となりました。 薬の服用回数を増やしたり、色々なリバビリを繰り返し半年の入院生活で、薬の服用は入院中朝昼晩とヒダントールとデパケンを2錠ずつ服用していました。退院しからも一年くらいは、その処方通りに服用していましたが1年後くらいから朝晩ヒダントールとデパケン2錠ずつに服用がかわりました。血液検査は初受診後から半年に1回定期的にありました。その後24歳で結婚し、3人子供(長女長男次男)を出産しました。 妊娠中もずっと薬は服用していました。薬を服用することよりも大発作をおこす事の方が胎児に影響があると主治医からも言われたのですが、すべてに不安だらけだったので主治医の言葉を信じて服用していました。お乳は3人とも一滴もあげていません。出産後すぐにお乳がはらない薬を服用しました。 てんかんの大発作も年々減少し、減薬しながら様子をみて、45歳の時に服用を止め、大発作もなく様子を診ながら5年後に主治医から完治したと言われました。
  • 意識消失が15分程あり近所の大学病院へ受診。観察&検査の為、即日入院。 入院は1ヶ月程したが入院中は意識消失はなかった。MRI等の検査をした所てんかんと診断される。 「処方された薬をみたら、病名がわかるよ」と言われ薬の袋を開けると抗てんかん薬もデパケンが入っていて、愕然としたのを覚えています。
  • 原因不明の辺縁系脳炎になり突然倒れ、そこからてんかんと逆行性健忘、高次脳機能障害を発症。てんかんの重症度としては入院中イーケプラを減らすと発作が起きて断念。現在はイーケプラ・ランドセン・ラミクタールを服用しています。でも服用しているにもかかわらず発作が起きたこともあり、ほっぺのひくつきなどの症状も出ます。何に誘発されて起こるのかが分からないのが一番不安なところです。
  • 生まれたときから無呼吸症だったため、発作に気が付いたのは2歳でした。当時は低血糖と診断されたため、飴をよくあげていました。3歳の発作でチアノーゼがひどく、血中酸素濃度が80を切ったため再検査をしてもらいました。結果、てんかんの診断に至りました。脳波の乱れは左後頭部を中心に常に波形は乱れていました。初めの病院では通院が難しかったため、近くの総合病院に紹介してもらいました。小さい時は眠るお薬を飲んで、検査をしていましたが、昨年からは自分で寝たり、じっとしての検査になりました。眠りにつくときに大きく波形が乱れるため、発作は就寝時に集中していたことがわかりました。

    10代以下女性の家族(この人の治療体験)

  • そのとき職場でいきなり倒れて痙攣を起こし、気がついたら病院で顔は打ち身で膨れ上がり、唇は噛んだのか切れていて、目も打っていたので視界も悪く自分自身に何が起こったのかわかりませんでした。それから、10日間脳波を撮り続け、色々な検査をし、部分的発作の癲癇だと診断されました。テグレトールとデパケンとラミクタールとランドセンやら色々処方していただき、それからも何度かは軽い発作や痙攣があり薬の調整などしました。 テグレトールはグレープフルーツとの相性が悪いのを知らず一度死ぬかと思う程のめまいと動機に襲われ、それからは一度も口にしてません(個人差はあるみたいですが基本相性は悪いようです) 通っていた病院は癲癇専門の先生がいてた事と家族の協力もあり今では発作は一度もありません。
  • 最初の頃は保育園や自宅で急に体が硬直したり白目を剥いたりしたのち、痙攣を起こして倒れたり意識不明になることが多く、地元の病院では病名も治療法もわからず右往左往しましたが、子供専門の病院を受診したところ、てんかんと判断され、バレリン100mg2錠を毎食後に服用しながら定期的な脳波検査を行なっていました。 ところが、小学生になってもてんかん発作は時々発症し、中学生になるまでは不安でした。 中学生になってからは体も丈夫になり、てんかん発作を起こすことはなくなったのですが、15歳の頃より減薬治療を始めたところ、発作が頻発し、減薬は中止となりました。大学に進学の際に5年以上発作が止まっているので減薬を始めましたが、また頻繁に発作を起こすようになり、以降は減薬せずにバレリン200mg錠を2錠、就寝前に服用しています。おかげでもう20年以上発作はないですが、薬は続けて飲んでいます。
  • 発症当時、私は中学生でした。毎朝ヨーグルトを食卓に運んでいたのですが、発症した日はその途中で立ったまま意識がなくなり、気がつくと足元にヨーグルトを落としていました。そんな日が何度か続いて、今度は私も一緒に倒れたそうです。「うぉぁー」という低いうなり声、白目をむいて硬直した状態は5分と続かなかったようです。 母と秦野赤十字病院の小児科で脳波の検査と問診でてんかんの診断を受けました。
  • 夏頃から光の強いスーパーなどで手が震える、けいれんするなどの症状が出始めました。しばらくするとストレスや睡眠不足で普段何もない時でもけいれんの症状が出るように。 内科、精神科なども受診しましたが、病名がわからず、薬も飲めず症状だけが続きました。京大病院脳神経外科を近くの神経外科で紹介していただき、やっと「若年性ミオクロニーてんかん」と判明。このてんかんの特徴の一つが光刺激に弱いということでした。
  • 生後間もなくひきつけをトイレで起こして、小児科に駆け込んでみましたが専門が少なくて薬の量を大目に処方されるなどのミスがあったくらい難しい病気でした。 しかし、成人になるときに専門の先生との出会いで血中濃度で薬の中毒により寝たきりになる寸前を助けていただき、検査入院していつも運動性てんかんと光過敏てんかんで発作になるのを働けて運転免許も取れるまで回復しました。 この病気は親身になってくれる専門医に診てもらうこと、きちんと処方された薬を飲むことで改善するのが多い病気で人生が全然違うのであきらめないでほしいです。 運動前、外出前に頓服を飲んだりして今では運動できなかった子供が全く健康そのものになったという病気です。
  • 生後4ヶ月から高熱が出ると痙攣をするようになりました。痙攣する度、医師からは熱性痙攣と診断されました。ただ、痙攣の頻度は落ち着かず、痙攣時間も5分を過ぎたり、1日に2回痙攣を起こしたり救急車のお世話にもなりました。それでも痙攣発作は高熱を出した時だけでしたので、当時は脳波もとりましたが、特に異常は見つからず、病名は熱性痙攣のままでした。しかし、回数が多いので、薬を服用する事になりました。それから半年に1回定期的に受診し、年に1回脳波と採血検査をしていました。ここ1~2年は痙攣も落ち着いていたので、少しずつ薬を減らして薬をやめる方向で考えましょうと言われていたのですが、昨年初めて脳波に異常が出てしまいました。医師からは、てんかんと診断されました。薬の調節を少しずつして、臭化カリウムの服用は卒業したばかりでした。デパケン細粒も様子をみながらという事でしたが、やめずにそのまま続行となりました。

    10代以下男性の家族(この人の治療体験)

  • 2015年の11月末に、仕事に行こうと鞄を持ったあと記憶がなくなりました。 会社から連絡を受けた主人が自宅で倒れている私を発見。約3時間気を失っていたようです。通常、てんかんの発作はそこまで長時間続くことはないそうですが、脳波の検査をして異常が見られたため精密検査を受けて診断が出ました。慢性疲労と睡眠不足もたたって、今回は長時間の気絶だったようです。 それ以外にも日ごろから小さなけいれんや意識が飛ぶことがありましたが、これがどうも前兆だったようです。
  • 春休みの沖縄旅行中、2度、急に意識を失って倒れました。沖縄で病院に行き、てんかんの可能性があるから自宅の近辺の病院に行くよう言われました。自宅の近辺の病院では脳波検査とCTを受け、てんかんと診断されました。てんかんを誘発する脳波が出る頻度がとても高く、かなり重症であると告げられました。
  • 仕事中の事故により頭部を手術し入院をすることになり、てんかん予防として投薬が開始されました。当時医師からは2年以内に発作が出ない場合は90%その後に発作が出ることはないと言われましたが、服用している抗てんかん薬が術後始まった頭痛にも効くと聞き、発作予防と頭痛を軽減させる補助薬として現在まで服薬しています。もう10年以上になりますが、今まで1度も発作が出ることは無く暮らしています。

もっと読む